占いの裏話(19)
暦の話 4回シリーズ -- その2 -- |
雑節・選日・二十四節気
1、雑節(ざっせつ)(狭義の雑節)は、陰暦では二十四節気と共に、一年間の季節や気象の移り変わりを的確に掴む為に、二十四節気の補助的な役目を果たす趣旨で特別にもうけられていた。(二十四節気については後述)その為、節気/雑節というタイトルを付け、雑節と二十四節気を一緒くたにして説明している解説書もある。具体的には雑節とは、陰暦の注記欄にあって二十四節気には含まれないもので、季節を示す次の項目を言う。 節分、八十八夜、彼岸(春分/秋分)、入梅、社日(しゃにち)(春社/秋社)、二百十日、二百二十日、土用(現代では夏の土用だけに関心があるが、本来は春夏秋冬と1年に4回ある)、盂蘭盆(うらぼん)、半夏生(はんげしょう)、大祓(おおはらい)、五節句(人日(じんじつ)/上巳(じょうし)/端午(たんご)/七夕(たなばた)/重陽(ちょうよう)(菊))・・・の12項目である。1つの項目で土用には4つ、彼岸、社日にはそれぞれ2つ、五節句には5つのケースがある。 これを同格に並べてしまうと分類が曖昧になるので注意を要する。以上12項目のほか、初午(はつうま)、臘日(ろうじつ)を入れて14項目とする説もある。これらは農耕は勿論、漁業、林業、養蚕などの生産生活及び自然生活に照らし合わせ、古来長い生活体験にもとづいて考案されたもので、現在では国民の日常生活に溶け込んでいるものである。いずれもが社会生活上での目安となり、年中行事や民族的伝統文化となって現在に至っているのは公知の事実である。 「雑節及び年中行事」というタイトルで上述の12又は14項目の一部を挙げ、更に選日(後述)に該当するもの等を加えて解説している暦もあるのはそのためである。更に「選日」というタイトルで「狭義の雑節」に分類されるべき項目を加えたりもしている。(混乱しているのである。)項目の個々に就いては、どの暦にも似たような解説が載っているので、ここではその解説はしない。雑節に該当するのは上記の通り12又は14項目であることを明記することが重要なのであり、これによって読者諸氏が市販の暦のバラバラの記述を整理できればそれで良い。 2、選日(せんじつ)は大きな分類では雑節に含まれる。しかし狭義の雑節とは 区別される。十干と十二支との組み合わせによってその日の吉凶判断を行う為の暦日上、特殊な日のことを言うからである。庶民はいつの世でも、また洋の東西を問わず日々の生活を、より充実させ毎日を楽しく過ごそうとするのが常である。そして良い事や喜び事だけを望み求め、逆に不愉快なことや凶事は極力避けて過ごそうとする。その切なる願いが、日の吉凶判断の方便としてこれらの特殊な日を生んだものと推定される。選日には次の項目がある。 @、十二支によるもの・・・・一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)、不成就日(ふじょうじゅび)、三隣亡(さんりんぼう)。 A、干支によるもの・・・・天一天上(てんいちてんじょう)、十方暮(じっぽうぐれ)、犯土(つち)(大犯土(おおづち)、小犯土(こづち))、八専(はっせん)。 B、十干によるもの・・・・三伏日(さんぷくび)(初伏(しょふく)、中伏(ちゅうふく)、末伏まっぷく))。・・・・の8項目である。1つの項目で犯土には1つ、三伏日には3つのケースがある。 なお、天赦日(てんしゃにち)を選日(人によっては雑節)に入れている暦本が多いが、正しくない。これは下段(後述シリーズ3(1−B)参照)のカテゴリーに属するものである。 いずれも様々な陰陽道的説明が付加され、且つ民族的な風習も絡み合い、縁起や習慣として各地、各家庭に語り継がれているようである。親からの言い伝えだと称して、これらの一部を今でも履行し続けている人が意外にも私の周りにさえ多いのは事実である。 選日には多少、気象学的な要素が有るのは認めるが、吉凶判断に関するので迷信的な要素の方が強く、これらががごちゃ混ぜになっている点、一部の人にはとにかく、ほとんどの現代人にはなじまないはずである。 一部の人とは、株屋さん(証券会社)など縁起を担ぐ職種のことである。コンピューター全盛の今でも、あることを成すに際して一粒万倍日を選ぶとか、出来ればこれと下段(後述シリーズ3)の大明日(だいみょうにち)とが重なった日を選び、しかも、それだけではなく神道による神主(氏神様の・・・神社)にお祓いまでしてもらうというのだから驚く。「きっかり正午に」と御祓いの時間まで神主に指定したとか。「その儀式は何度立ち会っても気分が良く、心が洗われ、眼前と頭上が広く拡がる爽やかな気分になる」と社長自らが言うのだから極楽である。ついでに「これは一種の、というか明らかに自己暗示ですが、この世界、自己暗示による精神の安定が極めて重要なのです」とのたまう。こういう社長が指揮する会社は、さすがにぐんぐん伸びています。これを読んでおられる貴方も、このように素直に積極的に、古来良しと言い伝えられてきた事を利用されたら如何でしょうか。きっと商売が大繁盛しますから。 選日の個々の項目についての解説は省略する。 3、二十四節気(にじゅうよんせっき)とは、太陽年を太陽の黄経にしたがって24等分し、季節を示す為に用いる語句で、中国伝来の語句である。占いでは一番重要なものなのであるが、新暦(現行の太陽暦)では必要性は少ない。太陽暦と実際の季節との狂いはごく僅かだからである。狂いは4年に1度、閏年を設け、その年の2月を28日でなく29日にすれば矯正できるほどである。太陽暦はその手法が優秀なのである。 それに比較して旧暦の欠点は季節とのズレである。旧暦(太陰太陽暦)のもとでは、農耕が主であったが、暦の通りに農作業をすると早い遅いのマチガイがかなり生じてしまい、安心して種まきや田植をする状態ではなかったようである。そこで、中国から伝来した二十四節気を「季節の標準」として採用して便宜をはかり、これを暦に書き込んで補正することにしたのである。 @、二十四節気は、上述の雑節、選日のように各社バラバラではなく、一致一定している。 即ち・・・・、立春/雨水/啓蟄/春分/清明/穀雨/立夏/小満/芒種/夏至/小暑/大暑/立秋/処暑/白露/秋分/寒露/霜降/立冬/小雪/大雪/冬至/小寒/大寒がコレである。 日本人が農耕生活に成功したのは、このような手段によって季節の移動と変化を知り、予知方法を発達させ、耕土、蒔く種、施肥、収穫など一定の年中計画を樹立させたからなのである。因みに国立東京天文台は毎年2月1日付けで「来年の暦要項」を官報に掲載するが、二十四節気についても触れるのが慣例である。国民の祝日のうち春分、秋分の日は一定ではない。そこで国立天文台がその翌年の春分、秋分(や日食、月食など)について正確に天文 学上の計算をし且つ観測をして補正をした上、次の年のその日を確定し、日程表として発表している。従って、二十四節気は気象上天文学上、充分に科学的根拠のある事項なのである。 A、二十四節気が「占いで一番重要なもの」と上述したのは、これを基にした節月(せつげつ)の存在のことを意味する。一般に1年といえば、1月1日から始まり12月31日に終わるのが決まりであるが、占いの場合は二十四節気の起点である立春をその年の始めとし、翌年の節分(立春の前日)までの期間を1年と定めている。従って占い上の月(Month)は「節月」になるのである。 これに付いては既に、当HP「講座20」で「月切り」という1ヶ月と「節切り」という1ヶ月があることを記述したので詳細は省略する。 4、結局、二十四節気も雑節に関連しており、選日も雑節に入る。 だから、1、2、3が入り乱れ、一体どの分類が本当なのか分からなくなり、暦本によって上述のように色々な解説が蔓延しているのである。この原因を追うと、江戸時代に遡ることになる。所謂暦注(暦本に記入されている事項のこと)の作り放題で、実態は相当ひどかったようである。商売上、注目を引く為にやたらに怪しげな項目を増やし、その数が多くなりすぎて庶民の生活に様々な不都合を招いた。そこで江戸時代に数度整理されたらしいが、それでも迷信的な言葉は残存し流行し続けて明治に受け継がれたようである。明治に入っても、その社会的影響(弊害)が余りにもスゴイので、明治5年(又は6年)の改暦つまり現在のコヨミ(太陽暦)に変えたときに、明治政府は全ての歴注を弾圧的に一掃することと決定し、気候、気象関係以外の占いの類(吉凶福禍)は全廃させた。そして現在に至っているのであるが、上記の通り季節を示すもの又は日の吉凶判断の方便とするものとして、その一部が残っているのである。 5、ついでに「明治の改暦」について解説すると、 @、太政官布告が明治5年11月9日に発令され、それまでの「太陰太陽暦」(天保壬寅暦)を廃止し、世界に通用している「太陽暦」(グレゴリオ暦)を採用するということになった。つまり前者を旧暦、後者を新暦(現行の暦)として扱うことになった。同時に旧暦を明治5年12月2日までとし、翌日の12月3日は新暦の明治6年1月1日と改められた。従ってこの改暦は「明治5年の改暦」と言われたり「明治6年の改暦」と言われたりして、記述が統一されてない。両方とも該当するからわずらわしい。「明治の改暦」と言った方がいい。 A、「明治の改暦」により、間違い易くなったのは、月の取り扱いである。最もこの件は、私のように占いを研究する者とか古文書を調べたりする人に関するもので、現行カレンダーを用いている多くの人にはどうでもいいことである。それは、明治5年12月は癸丑九紫だったが、それを改暦により明治6年1月にした為、それまでの丑月が1ヶ月繰り下げられたことになったことである。つまり1月から12月迄を十二支にならべると寅卯辰巳午未申酉戌亥子丑だったことが、丑寅卯辰巳午未申酉戌亥子と変わったのである。また九星も順送りで変化させられている。従って明治6年以前の諸事項に付いては、この点を心得ておかねばならない。 |