占いの裏話(16)

二十八宿についての裏話
「二十八宿ってなんですか」という質問をうけることが、たまにある。
殆どの人は無関心のはずだが毎年出まわる市販の暦の一角には必ず載っているので、探究心のある人なら疑問が出て当然である。
漢字一つづつが28個並んでいて、現代人には読めない単語もある。
カナが振ってあってもなじめない。
各々の吉凶の意味が書いてある場合もあるが、古い(フルすぎる)。
例えば、衣裁・馬乗り・かまど造り・井戸堀り・薬あわせ・醤油造り・手斧・武器造り・・・・・ETC、大昔にあったのは分かるが、こんなことを現代人の中で日常には勿論、年に1度でさえ、やっている人がいるとでも言うのだろうか。
なにも今更、古いままの単語を持ち出して何のいみがあるというのか。理解できない。
しかし依然として暦に出ている以上、調べてみる必要もあろう。
 
(1)、二十八宿は太陽、月の天体上の位置及び春分点、冬至点を示す為に、又月と星(恒星)との位置を知る為に考え出されたもので天文学を基に発生している。
現実の星座と月を観て、季節の推移や天体の動きを知るのに役立てたい、月の運行を正確に知りたい・・・・・との願いから生れたものらしい。
月(Moon)の1日の行程を測った結果、月は天球(1周天)を約27日と7プラス3/4時間で1周して元に戻る。
そこで「月は、一周する道筋に当る付近の星座の1つ1つに宿りながら通過運行する」との想定をし、それら28の星座それぞれに適当な名称を付けたのである。
二十八宿という名称は、月が全天(一周天)を巡るときに28の星座に1日(1夜)ずつ留まる(宿る)ということから考え出されたものらしい。
つまり二十八宿とは赤道又は黄道に沿った天球を28の区域(区分は不等)に分け、天体の位置を示す基準とするために使った28の標準星座のことであるが、中国起源説、インド起源説がある。
前者の場合は赤道付近の星座名を、後者の場合は黄道付近の星座名を選んで宿星とする点で異なっている。
当初、後者では27宿を用いていたが、天文学の発達と共に28宿に改正した。
どちらが先でもいいが、前者が一般的のようである。
 
(2)、二十八宿は、もともと純天文学的なもので吉凶禍福を占うものではなかったようである。
しかし陰陽道では、天体の運行が人間界の一切に影響を及ぼし支配するとして、月(Moon)の28宿を、月や日に割り当て且つ28の星座1つ1つに意味を持たせ吉凶を占うのに用いた。
その後二十八宿は、時代の流れと共に暦の年月日に配当され、それに不随して陰陽道による吉凶を表示するのがあたりまえになり、これが慣例化されて、今日では全く吉凶判断のみを示すようになった。
その吉凶判断の影響が余りにも大きい為(災いの方が強かったらしいので)明治6年の太陽暦採用の際には、他の暦注と共に二十八宿の掲載も禁止された。
しかどういうわけか復活し民間暦には依然として伝統を受け継ぎ今もその存在を示している。
このようにして、天体の位置や季節の推移を知る為に考案された二十八宿は、やがて歴注としてしか使われなくなってしまったのである。
 
(3)、二十八宿の配当はこれを東北西南の順に区分し、更にそれぞれを7つに細分して計28の宿を想定する。
その由来は古代中国で天球の東西南北の方位を四神(四霊獣)で表わし、天の四方を守る霊神として東に青龍神、西に白虎神、南に朱雀神、北に玄武神を奉ってあがめていたことにある。
わが国では平安時代から徳川中期までは、27宿(28宿から午宿を除いたもの)を用いていたが、貞享の改暦(1684年)の際、中国の暦にならって28宿に変え且つ貞享2年(1685年)の正月朔すなわち正月元旦の星宿を「角」とし、これ以後連続して配当され現在に至っている。
二十八宿は、NO1の角から始ってNO28の軫までが規則的に繰り返される。
(1から28までの宿星名及びその呼称は省略する)
28の宿の個々にはナンバーがついているわけではないが、事実上はナンバーがある。
東の1番から南の28番までの順序で規則的に廻るからである。
そうすると東方の七宿は1番(角宿)から7番(箕宿)まで、北方のそれは8番(斗宿)から14番(壁宿)まで、西方のそれは15番(奎宿)から21番(参宿)まで、南方のそれは22番(井宿)から28番(軫宿)までとなる。
 
二十八宿は、干支や七曜と同様、年、月、日、それぞれが28ケの星で順番に永続して無限に循環して使用される。つまり、
    @、日の二十八宿は28日毎に同じ宿が廻ってくるが、28の宿を廻ると4週間で一周することになるから、各曜日(つまり七曜の1つ)には4つの宿が配当されることになるが、東の1番(角宿)が木曜日になっている。
これが順番に廻るから、最終の南の28番(軫宿)は水曜日になる。
そこで日の循環では、七曜(つまり日月火水木金土)に対応する組み合わせも出来ている。
つまり木曜日は1,8,15,22の宿が、金曜日は2,9,16,23の宿が、土曜日は3,10,17,24の宿が、日曜日は4,11,18,25の宿が、月曜日は5,12,19,26の宿が、火曜日は6,13,20,27の宿が、水曜日は7,14,21,28の宿が該当する。
そこで昔(江戸末期から明治初期)の人は、「今日は角宿の木曜日だから」とか「斗宿の木曜日だから」とか「軫宿の水曜日だから」とか「箕宿の水曜日だから」・・・・・などといいながら、その日の吉凶判断を暦でやって大騒ぎしていたらしいのである。
    A、月の二十八宿星は28ヶ月後に廻ってくる。
例えば南方七宿の「柳」(28宿のナンバーは24である。以下NOで表示)をみると、平成5年1月、7年5月、9年9月、12年1月、14年5月、16年9月・・・・・・という具合に廻ってくる。
同様に西方七宿の「昴」(NO18)は、平成4年7月、6年11月、9年3月、11年7月、13年11月、16年3月である。
    B、年の二十八宿は28年後に廻ってくる。「柳」は昭和16年、44年、平成9年に廻ってきた。次は平成37年に来る。同様に「昴」は昭和10年、38年、平成3年に廻ってきた。次は平成31年に来る。
 
(4)、六曜のように、その配当に時々不連続性があって不可思議なところがあるなら、一般人の興味を引き、人気も出るのであろうが、二十八宿は、28年、28ヶ月、28日の周期で、永続的に循環するだけであるから、そこには何の神秘性もなく面白くない。
 
全般的に暦注で日常生活の吉凶を判断する風習は時代を追って下火になってはいるが、
実際には結婚式、葬式、開店、閉店など特別な場合は、その殆どが六曜によって吉日を選ぶ傾向が全国的につよまっている。
六曜の場合は、構成要素が先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の僅か6つで単純であり、読んで字の如く平易な名称だから解説など読む必要もなく、誰にでも覚えやすいから大衆うけが良いのである。
今では、六曜は全国民共通のカードみたいなもので、大安といえば皆ががニコニコ、仏滅といえばだれもが渋い顔をすることになっている。
二十八宿はこれに反し、読みも難しいし、数が28個もある点では六曜よりはズット憶えづらくて大変である。
だから二十八宿は下火になり、六曜は今でも人気があって残っているのである。
 
(5)、二十八宿による占いはどのような占いなのであろうか。
28の宿のそれぞれに持たせている「吉凶の意味」がミソであり、当該の年、月、日に配当された宿が持っている「意味」だけをみて、その時の「占い(吉凶)の結果である」とズバリきめてしまう、実につまらない単純そのものの代物なのである。
28の宿のそれぞれに与えられた「意味」が極めて重要なのにもかかわらず、語彙が少なすぎるし、日常茶飯の行為、行事、事例の項目が僅かの数に限定され、その表現が曖昧でまぎらわしくダブりも多い。
暦本によって「意味」が異なっているのは、「解釈の相違」などという高尚な理由ではなさそうである。
この類の占いが出始めたころは、現代に比較して単純な世の中で、殆どの国民が無学文盲だったから、これで充分に通用したのであろう。
無学文盲の真剣な聞き手に対し、一般よりも物知りで多少の学があるだけの者がイイカゲンなことを言ってその意味するところを強行にあてはめて、おどかしていたのであろうか。
これでは人心が錯乱してしまうこともあったかもしれない。
二十八宿の宿の「意味の吉凶」には「・・・・・は吉」がもっとも多く、吉凶両方がこれに次ぎ、「・・・・は凶」が少ない。
1つの宿星に多種の項目掲げられているにもかかわらず、互いに関連性のない項目を擁しているものが多いのはいいかげんさの証左である。
 
たまたま該当した宿が日廻りのそれなら、1日だけを注意して過ごせば翌日はまた次の宿に変わってしまうから大したことはなく済むが、月廻りで配当された宿なら、それが1ヶ月間ずっと続くことになる。
「葬送は不幸が重なる大凶」とする宿の月は葬儀は出来ないことになるのではないのか。
死者が出たときはその月は、どうすればいいのか。葬送をすればエライコトになるのだ。
「造作建築は凶」の月に当ったときは、造作建築の注文をする者はなく、建築関係者には仕事がないことににもなるはずだが、どうやって彼等は1ヶ月間をすごせばいいのか。
 
[・・・・は吉、他は凶」とか「何事にも凶、万事慎め」に至っては、一般人は一体何をしていればいいと言うのか。
ましてや年廻りで、その種の宿に遭遇したら、日本の1年間はどうなるのだろう。日本人はどうすればいいのか。・・・・ちょっと考えただけでも疑問だらけである。
 
(6)、配当の方法及び起源は前述の通り中国の二十八宿なのであるが、長い年月の間には、色々な人がそれぞれ自己が信奉する占いの差別化を意図して、色んなかたちで便乗利用したのか、それぞれ別名(和名)があり、又現在の星座名と称して、各宿星を「黄道十二星座」のいずれかに所属させてもいる。
この星座占いは10代20代の若い子に圧倒的な人気があるので、これにあやかったのだと思うが、勝手にネーミングしたらしく、扱う人によっていろいろな呼称があり暦本ごとに一致していない。
不揃いが全部なのではなく、その一部でありしかもそのズレが暦本ごとにばらばらなのである。
特に十二星座の記号をギリシャ語の単語(アルファベット)で表示してあるところは、それが顕著で、明らかな写し間違いがみうけられる。
永い伝播変遷の中で、脚色されたり、誤って伝えたり、理解不足からの聞き間違い、書き間違い写し間違いを繰り返して現在に至っていると言うべきか、全体的に実にお粗末である。
どれが先駆か、どれがオリジナルなのか検討がつかなくなっている。
書き写しはしかたがないが、これだけ差があると、イイカゲンにして欲しいということになる。
 

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