風水家相講座(4)
鬼門と裏鬼門についてのコメント

(1)鬼門は地相・家相上、非常に悪い方角として古来、言い継がれてきています。
鬼門はもとから日本にあったものではなく中国から伝来した考え方です。
その起源はおとぎ話的な伝説らしいのですが、どの解説書にも恐ろしいこと、悪いことが書かれています。
解説者によっては地相・家相に関係なく「大凶」と強調しています。
しかしこれを詳しく吟味してみると、鬼門が大凶方であると言う理由は取るに足らないものが多く、理論的にも納得できるものは殆どありません。

徳川時代以降、儒学者、経世家、軍学者などによって、方角に関する記述がいろいろ出されています。
その中でも鬼門についての記述は一般人の受けが良いようで、それに関する文献が他の解説書に比較して最も多く、300冊ぐらい有ります。これらを詳しく解説すると一冊の本が出来るほどのボリュームになるでしょう。

新築する立場になると当事者は、大体、家相とか鬼門に関心を持つのが通常です。
これらの関係について調べはじめると、どの解説書にも良からぬことがびっしりと書き込まれ、あらゆる事が災厄として引っかかってしまう事がわかります。
これを全てまともに受け入れれば自分の気に入った建築なんてとてもとても出来なくなってしまうでしょう。。
既に出来上がってしまった家やマンションを買った人が、この御託に関心を持ち出す羽目に陥ると、今更どうしようもないことですから、気分的に より始末が悪くなります。
本稿のように鬼門の詳細を説明して「気にしないように」とアドバイスしても、どうしても納得しない人もあるようです。
こうならないように以下コメントしておきます。

(2)鬼門は十二支による方位盤の丑と寅の方角または八卦の艮(うしとら)の方角のことで、東北の別称です。
この別称は中国から伝わったもので陰陽学上、四隅を鬼門・風門・人門・天門と呼称したことに由来しています。
中国で何故東北を非常に悪い方角としていたのかは地理的な理由と歴史的な理由で整理できます。

 (イ)黄河の中流地域では毎年シベリア、オホーツク海方面(東北方面)から暴風雨が襲い、その都度、家・田畑がひどい被害を受け多くの人命を失わせた。そこで、
  (a)東北の窓は、このすさまじい暴風雨を受けて意味をなさなくなるから凶。
  (b)東北にある便所はその臭気が東北の風に流されて住居に充満するから凶。
  (c)東北にかまどがあると強風にあおられて火災が発生したり、飛火したりする危険性があり、また煙と灰が充満するから凶。
つまり東北は地理的に恐い場所である。

 (ロ)古代中国では東北方面に山賊、蛮族(匈奴などの遊牧・騎馬民族)の根城があり、その方面からの侵略が恒常的でしかも激しく、残忍で善良な 住民が略奪、強盗、強姦、殺人の脅威を絶えず受けた。そのため「東北は鬼の根源地であり、乱を起こす鬼、人が恐れる鬼が出入りするところ」としてこの方角 を恐れ嫌った。
(万里の長城はこれを防ぐ事(軍事的要塞)も建設目的の理由の一つにあげられている。その起点はかつての旅順、大連を先端に擁する遼東半島の西 の対岸にある山海関であり、山海関から西北の方面に約1万キロ、ゴビ砂漠の西のはずれまで続いています。だらだらと曲がりくねっていますが山海関からは間 違いなく北西方面で終わっています。
首都北京は万里の長城の起点から大同あたりまで間の南西に位置し、北京から見た万里の頂上は東北方面になります。)
つまり東北は歴史的に恐い所である。
だから東北の方角は出入り口として不適格であり大凶だ・・・・とする。

(3)確かに日本でも、東北方向は冬は寒風が吹きすさぶ方角であり、大昔、東北に位置する台所で働く女性達にとっては、その寒さがこたえたに違いないでしょう。
こういうことを拡大させて「この方角に家の一部が出っ張ると病人が絶えない」とか「この方角に玄関・風呂場・台所・便所があると家庭内に紛争が多くなる」とか、あらぬ屁理屈がつくことにもなるかもしれません。
しかし島国の我国は、中国大陸とは気候の面、国内文化、統治の点で大きく異なります。。
特に現代の我が国においてはこれらの理由は適切ではないと言えます。なぜなら
 (イ)日本の首都(旧現とも)から見た東北の方角は太平洋に面していますが台風は南の方角から襲来するのが通常です。
 (ロ)日本の首都からみた東北には匈奴に等しい山賊が存在したことはありません。
 (ハ)現代日本における建築資材や建築技術の進歩・充実はめざましく暴風雨にびくともしない窓枠、強靭なガラス、水洗トイレ、煙のでないレンジ、換気扇がついた明るい広い台所と浴室、消臭装置 ........etc。
従って上記(2)にはあてはまりません。

(4)東北が恐いという古い理由づけは、大昔に外国(主に中国)から渡来した文化人や日本から中国に留学して帰国した知識人達が、牧歌的時代に生きた無学文盲の日本人に言いふらし、信じ込ませ、伝え継がせて今日に至った民間風習にすぎないと言っても過言ではありません。

(5)平安時代には皇居が京都に在ったので、その東北にあたる比叡山に鬼門除けと称して延暦寺を建立して皇城の鎮護に当て、又江戸時代には江戸城 から東北の方角は上野の山にあたるから、ここに江戸城の鬼門除けと称して東叡山寛永寺を建立し徳川家を護ったのは事実のようですが、これらは当時の支配層 から絶大な信頼を受けていた方位家相学者の面々による思い込みの実現化に過ぎず、その効果がどうであったのかは定かではありません。
一般庶民の間では鬼門に当たる東北方角の屋根に鬼瓦を付けたり、財政的に豊かで縁起を担ぐ村では鬼門よけに鬼門堂を建てたりしたようです。

冷静に考えれば、鬼門という概念は中国においては、あるいは的を得ているかもしれませんが、我が国では全くの迷信と断言して良いのです。

(6)鬼門には近年、実しやかな考え方も出ているようです。

  (イ) 東北相剋説
五黄が中宮のときの定位盤(通称後天定位盤)の九星の位置に関し、各々の星が隣接する両側について、それらの相性相剋を吟味した場合、東北に位置 する八白土星だけが両側とも相剋であり、他の7つの星は両側とも相性であるところから、東北は特別悪い方角なのだ、鬼門だという考え方を言います。
しかし中宮が五黄以外のときは東北に遁甲する九星の両側は勿論、八白そのものが遁甲するブースの両側もまた必ずしも相剋ではありません。
一見最もらしい説明のようですが、結局はこれもまたこじつけの珍説にすぎず、妥当ではありません。

  (ロ) 東北または数字の8には変化、転換と象意があり「休から動に移る」ことを意味するから、この方位を活用すると、180度ひっくり返るような事象が現われ、従って大変な困難苦労をまねく。だから駄目な方位だ、鬼門だ。・・・とする説。
しかし、常に固定的にダメなのではなく、方災となるような利用をしない限りそういうことにはなりません。
これは他の11の方位の利用に当たっても通じることであり、東北方位だけに限った現象なのではないのです。
東北は方角として北北東、東北東の2つに分けるべきであり(一緒くたにひっくるめてしまうところがまず間違いである)各々9通り計18通りもの方 位に分けられますから、これらが常に固定的に凶方と言うのは正しくないのです。東北の方角にも他の方角と同様、九星の遁甲があり吉方の時もあれば凶方の時 もそれぞれ存在するからです。
しかも吉方、凶方は各人(本命)の祐気、剋気によって決まるものですから、東北の吉または凶が誰もが一斉に同じ時に該当するわけではないのです。人により又は年月日時刻の違いによって変化するのであり、吉にも凶にもなりうるのです。

  (ハ) 出雲大社のご神体がその東北にあるから、また徳川家康の遺体はその遺言により静岡県の久能山(江戸城の裏鬼門に当たるらしい)に葬ら れたが、その翌年、日光に改葬され(日光東照宮とされ)た。そこは久能山からみて東北に位置しているから・・・・東北は尊い方位、有り難い方位、恐れ多い 方位である。これを突き詰めていくと「だから東北は怖い方位だ」とする説。
これについては、読者の判断におまかせしましょう。勝手に解釈して下さい。

(7)裏鬼門とは東北の反対側の方角つまり南西のことを指します。12方角のうち、子、卯、午、酉を四正といい、この他の4方角を四隅といいますが、四隅とは丑寅、辰巳、未申、戌亥のことです。
上述のとおり、この四隅を陰陽道では、それぞれ鬼門、風門、人門、天門と別称しています。
この考え方が日本に伝わってから、この内の人門を(日本人の誰かが勝手に悪乗りして)裏鬼門といっているにすぎません。
つまり、鬼門と言う別称をエスカレートさせた結果、正鬼門の対として造語した単語が裏鬼門であり、単なる言いがかりにすぎないと考えて差し支えありません。
方位の吉凶を占う時は主星の対冲(反対側)を重要視しますのでこの方則を流用したと考えることも出来ます。
(因みに中国には鬼門という呼称は在っても裏鬼門はありません。)
前述(4)に対比させると京都では二条城、江戸では芝の増上寺だったようです。
とかく占いに頼る人や、占いについて生半可な知識を持つ人は、脅かしを得意とする占師の方が「当たる人」と考える傾向がありますので、この様な変な解釈が支持され、これが積もり積もって固定化してしまったのでしょう。困ったことです。

(8)人の運勢を占う場合にも鬼門をベースにする向きが有るのには驚きます。毎年、年末には初詣勧誘の広告が新聞や折り込みに出されます。今年 は、それらを注意して読んでみてください。運勢の鑑定と方位のそれは別の方法をとって鑑定するのが正道なのですが、何故かごっちゃになっているのです。分 かってやっているのか、とぼけてやっているのか、商売上、参拝を煽っているのでしょうか。
この誤りの指摘とその理由は当HP裏話NO12、13(2回シリーズ)を参照して下さい。

尚、鬼門の考え方はコンピュータ時代の現在に至っても日本では依然として強調され衰え知らずですが、発信もとの中国では殆ど浸透しなかったというのが真相のようです。
因みに鬼門除けに四敵する建築物、ましてや裏鬼門除けのそれは中国には全く存在しません。

私は鬼門という観念を多くの人が一日も早く頭の中から取り去り、家の間取りが上に述べたような誤った言い伝え、迷信に束縛されることなく自由に設計される事を望んでいます。

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