風水家相講座(1)
風水とは?
 
 住居はすべての人にとって、その健康と安全を守る器であり生活上の本拠となっています。

暑さ寒さ、風雨をしのぎ、家族との団らん、飲食をするなど、毎日の疲れ・ストレスを癒し安心して眠ることができる最も重要な生活空間です。

従って、住居はそこに住む人に対して日夜、心理的にも生理的にも大変な影響を与えていることになります。

ながい長い一生の間には、本人が意識するしないにかかわらず、この影響力が集積されますから、住居の吉凶は、その人の一生を左右し、ひいては、一家の盛衰に関係することになると言っても過言ではないでしよう。

現在住んでいる家、またはこれから住もうと思っている家について関心を持つことは、そういう意味で大変重要なことだと言うことが出来ます。

風水家相について、「俺には関心がないことだ」と言って頭から否定する喰わず嫌いの人もいることでしよう。

しかし、これに無関心でいることは、あまり得策とは言えません。

因みに家造りをした人のうち、57%の人が家相を考慮したという全国的な統計があります。

さて、風水とは単なるおまじないでしようか、迷信なのでしようか、それとも現代社会に通用する環境管理学なのでしようか。

近頃では、建築学会の論文にも風水研究がやたらに増え、また地理学、歴史学、人類学の分野でも研究対象として注目されて来ていると聞きます。

もし風水が単なるおまじないや迷信だとしたら、相応のレベルの人達で構成していると思われる建築学等諸学会に、その種の論文が発表されると言うようなことは無いはずです。

風水というコトバが単行本のタイトルになったり、コトバとして一般に知れ渡るようになったのは、ごく最近のことで、わが国ではここ10年位のことです。

それまでは、風水とは言わず、家相、地相、墓相、と別々に言ったり、この3つを含めて家相と言ったりしていました。

風水の定義は、従って明らかではありません。

風水は東洋独自の自然観を体現化した地理学であり、現代に言う環境アセスメント思想なのですが、短的に表現すると「大地に流れる気を読み取る思想」と言えます。

あえて定義するとすれば・・・・その土地の環境(風、空気、水など)、地相及び家相(狭義)についてその方位、運気を見て、そこがその人の住居、仕事場として適切か否かを総合的に判断する「占術」ということができるでしよう。

風水の対象や範囲は実に広く、陽宅(現に生きている人の生命エネルギーを活性化させるための風水)と陰宅(生命エネルギーを失ったもの(死んだ人 など)、生気になくなったもの(汚水、排水など)のための風水)があり、具体的対象には前者に国、都市、村落、住居、内装インテリアの選択、設計、建設な ど、後者には墓地造りなどに関することがあげられます。

前者は万物が成長するエネルギー(生気)のあふれるところ、自然の気が理想的に流れている場所に置き、生命エネルギーを活性化させる知恵であり、 後者つまり生気のないものに関連する土地や部屋は生気のあふれるところには置かないで(生気のないところ、気の流れが断ち切られたところに置いて)、その 凶を追い払い、または 凶を鎮めようとする知恵です。

ところで、香港、台湾、韓国では、我が国のブームとは比較にならないほどの勢いで、風水が流布されており、風水師と称する人が何万人も存在します。

そこで何処が風水の本場(本家、本流、・・・)なのか、等を考えてみたくもなります。

しかしながら、国には、それぞれの独自の文化があり、また物事は、時代の流れによって変遷し改良され発展していくのが常ですから、「ここが本場だ」とか「オレが正論者で他は正しくない」などについて云々するのは、エネルギーの浪費にすぎず無意味なことだと私は考えます。

上述のとおり風水は「大地に流れる気を読み取る思想」ですが、これを具体的に言うと:大地の気は山頂から発せられて山並みや川など(竜脈)を伝わり平地に下る。

そしてその後「穴(けつ)」と呼ばれる窪みに留まり、そこから穏やかに流れ出ていく。

こうした気の流れこそ風水学では非常に重要な点であり、気が流れている場所を探し出せれば人間は その理想的な恩恵にあずかることができる・・・とする。

そこで国外では(日本でも若干の人は)、「風水師とは「気」を感ずることが出来る人でなければならず、その為には、10年ほどの瞑想修行が必要 だ」 「訓練すれば「気」の流れや風穴の位置(説明がむつかしくなるので省略)等を読み取ることが出来るようになる」・・・・等と主張します。

この点について、私は非常に疑問を持っています。

数字にも、統計にも表すことが出来ないものや普通の人がどうしても感ずること(見ること、触ること)が出来ないもの(エセ超能力)を根拠に、問題の解答を導くというカルト的な考えを、私は全く理解できないのです。

四国の剣山で修行したとか、出羽三山、越中立山など昔から有名な霊場と称される場所で滝に打たれたとか、粗食をし難行苦行を十幾年も積んでついに 霊能力を得るに至ったなどと口上して 見事なヒゲ又は奇抜な様相で(男女別なく)貫禄をつけたつもりでも同じ事だと私は考えます。

だからといって、早稲田大学で教員をやっているらしいOさんという人のように、霊能者の宜保愛子さん(故人)のパフォーマンスをムキになって問い詰めるようなことも又、おとなげないことだと考えます。

科学万能(あるいは自分だけが正しい)を主張して、純粋に科学ではない事柄を科学的に証明しようとするところに無理があるのです。

(Oさんがこれを、テレビに出て中途半端にやったのは実に滑稽でアホなことなのだ。)

Oさんが仕事としているという科学の分野でも矛盾や未完成は数多く存在するはず。

加えてOさんの属する業界は、バレルのを恐れ、怖がって、秘密にして(臭いものに蓋をして)他の業界との交流を頑なに拒んでいるのが実情ではありませんか。

あの業界はそれが伝統的慣習らしいから、だれも入って行けないし追及もできない。

このズルサに対して宜保愛子さんが無視の姿勢(回答拒否)を取ったのは仕方がないことです。

テレビの芸能番組でわめくほどヒマがあるらしいOさんの学問上の業績について、逆に宜保さん側が その全部を洗い出し、大学の教員を仕事として真 面目にやっているのか、専門分野を極めているのか、後世に伝えることができる程の業績を少しでも挙げているのか、自分に関係のない業界のことに(生半可な 知識で)追及する資格があるのかどうかを(馬鹿馬鹿しいことだが)調べ追求すれば、逆に宜保さん側が Oさんに対して攻撃できるところが全くないとは言え ないでしょう。

双方の単なるアラの捜し合い、泥の掛け合いになります。(次元が低くて話にならない)

どの流派が本流だとか、風水がでたらめだとかに関する争いも、このアホラシイ茶番劇と同様、あまり上等な話だとは言えないのです。

私は次のように理解して研究を続けてきました。

風水、家相、気学、方位学はいずれも「占い」と言うよりは先人が、より良く生きるための方策を永年にわたって実践し、試行措誤を繰り返しつつ発見した知恵であり、それらを体系化した経験の集積、つまり歴史的事実を統計し分類して考察した経験則である。

過去の統計は動かせない。

そこに振幅があったとしてもごく僅かである。

また、その目的は、どうしたら幸福な生活を送ることが出来るのか、どうしたら自然の法則と調和して合理的な生活をすることができるのか、どうしたら自然界に存する無限のエネルギーを取り込み且つこれを活用することができるのか・・・・を示唆するものである。

人の宿命を言い当てるだけで放置してしまい、何の手当てもできない単なる「占い」ではない・・・・・と。

従って、私が現に研究し続けていることは、科学ではありませんが、非科学的な当てずっぽうでもないのです。


風水家相講座バックナンバーへ

Copyright (C) Yamazaki Motoi All Rights Reserved.
このサイトの内容の著作権はすべて著作者「山崎求易」に帰属します
無断転載禁止